■最後のさよなら■ 第27回 | KOZミステリーの部屋

■最後のさよなら■ 第27回


*********************************************************************************************** 2000年 カリフォルニア

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 JFケネディ空港から五時間半、狭苦しいエコノミー席に押し込められ、不味い機内食に辟易して、ようやく到着したサンフランシスコ空港は同じ国にいるのが信じられないほど晴れ渡っていた。
 その日はスーパーチューズデイだった。四年に一度の大統領選挙がある年、十一月の第一火曜日の本選挙よりもずっと前に、アメリカの未来を決める重要な選挙が行われる。それが共和党と民主党がそれぞれ大統領候補を選出するために行う予備選だ。三月の第一火曜日は、多くの州で予備選が行われるためスーパーチューズデイと呼ばれていた。このときの得票が、党から候補者としての指名を受けられるかどうかを大きく左右するのだ。
 もっとも私のようにこの国の選挙権も無く、共和党や民主党の党員ですらない人間にとっては、選挙といっても舞台の袖から見ている芝居のようなものでしかなかった。喜劇であるか悲劇であるかは分からなかったけれど。
 私が西海岸にやってきたちょうど同じ日、ライアン・オニール上院議員も遊説のためサンフランシスコを訪問していた。カリフォルニア州の予備選は次の火曜日だったが、オニール議員はその前にカリフォルニアに来ることを選んだ。まさか、東海岸の憂鬱な天気に飽き飽きしたというわけではあるまい。カリフォルニア州はこの国の人口の一割が集まり、予備選だけでなく本選挙でも重要な戦場になる。しかも、共和党ではカリフォルニア州のレナード・スタイン知事も出馬していて、オニール議員と党候補の指名を争っていた。カリフォルニア州では穏健派のスタイン知事の支持率が高く、下馬評ではオニール議員は不利との見方が強かった。しかし、先日のニューヨークでの狙撃事件以来、オニール人気は急上昇しており、共和党の予備選は予断を許さなくなってきた。オニール議員は最終決戦に向けて、敵地に乗り込んできたというわけだ。
 私は空港のロータリーでシャトルに乗ってレンタカーステーションに向かい、小型のフォード車を借り出した。カウンターで無料の地図をもらい、係の男性に他に何が必要かと聞いた。
「トウキョウからですか?」
 彼はすぐに私が日本人だと分かったようだった。
「日本人だけれど、ニューヨークから来たんだ」と、私は言った。
「まず、サングラスを買うんですね。それから春物の服だ」彼は私の北極からでもやってきたような格好をちらりと見た。
「ニューヨークは雪だったよ。ひどい降りだった」
「それはそれは」男はカウンターの内側から車の鍵を取り出し、脇にあった新聞を引き寄せて、天気予報に目をやった。「ここで過ごすつもりなら、雨具もあった方がいい。午後から雨になる」
「こんなにいい天気なのに?」
「天気は関係ないです。降る時は降ります。今は雨期だからね」
「新聞にはなんて書いてあるんだい」
「一日中晴れだそうです」と、彼は言った。
 外はとても雨など降りそうもない、良い天気だった。空気はひんやりとしていて空は冴え渡り、サンフランシスコ湾から吹いてくる風が耳たぶをくすぐった。何をしに来たのかを忘れてしまいそうな天気だった。西に行けば何かがある。不毛の中西部を越え、ロッキー山脈で寒さに震えた開拓民なら、誰もがそう思ったに違いない素晴らしい天気だった。
 私は小さな鞄と冬物のコートを助手席に放ると車に乗り込み、空港前を走る高速道路を南に下った。三十分ほど走り続けると大学の標識が見えてきた。この辺りは、かつてヒューレットとパッカードという自動車みたいな名字の青年たちが大学から援助を受けて会社を興して成功を収め、同じスティーブという名前を持った二人の青年が自宅のガレージで手作りしたコンピューターにリンゴのマークを付けたことで知られていた。そして街は大きくなり、人々はここをシリコンの谷と呼ぶようになった。古き良き時代の神話だった。
 王老人にもらったメモにあった住所からは、地図でどの辺りなのか見当がつかなかったので、私は高速道路から降りると大通りを大学の方に向かって走っていった。
 この辺りは町の中心部だったが、大通りとは言っても、ニューヨークのように自動車がタイヤを鳴らして走り抜けられる道ではなかった。マンハッタンの街路に毛が生えた程度の細い通りが真っ直ぐ続いていて五十メートルおきに信号があり、両脇には邸宅と呼んだ方がよさそうな巨大な家が建ち並んでいた。大学教授や企業の経営者のような成功者と呼ばれる人間が住んでいる屋敷だった。
 しばらく走り続けると、住宅街は途切れ、軒先にパーゴラを設けた洒落た名前のレストランや奇抜な洋服を着たマネキンが並ぶショーウインドウの商店などが建ち並ぶようになった。あちこちにBMWやらメルセデスやら、最新自動車の見本市のように高級車が無造作に停められていた。
 私は地図を横目で見ながら、いつまで経っても教わった住所の表示が出てこないことを訝しく思い、道沿いのコーヒーショップの前に車を停めた。
 店に入ると、穴の開いたジーンズに大学の名前が書いてあるTシャツを着た学生風の青年が、パリッとしたスーツを着こなしている一回りは年上の銀行員風の中年男に大声でまくしたてていた。
「いいかい、このビジネスモデルを成功させるにはあと百万ドルは必要なんだ。あんたのところで資金を用意できないなら、話し合いはお終いだ。昨日来たベンチャーキャピタルに話を持っていくよ」
「ちょっと待ってくれ。投資しないと言っているわけじゃあない。私が抱えている投資家が君のビジネスプランは本当に実現可能かどうか問い合わせてきたんだ」
 ヒッピー風の青年は天が落ちてくるのを受け止めようとでもするように大袈裟に両手を広げて嘆いた。「おいおい、インターネットは今まさにビッグバンみたいに爆発しているんだ。なんたって時間が大切なんだ。あんたが今ぼくに投資すれば、三年後には十倍、いや百倍になって戻ってくるんだぜ。ぼくの話が信用できないなら、この話はご破算だ」
 青年が話を打ち切って立ち去ろうとするのを、銀行員風の男が追いすがって必死になだめすかした。
 私は彼らの横をすり抜け、カウンターで手持ち無沙汰そうに片肘をついて欠伸をしている、人の良さそうな店主に声をかけた。「彼らは何の話をしてるんだね」
「トウモロコシでさあ」
「トウモロコシ?」
 私が注文したシアトル風のコーヒーを作りながら、店主は面白くもなさそうに説明してくれた。「インターネットでトウモロコシの先物取引市場を作ろうってんですよ」
「儲かりそうなのかい」
 彼は小振りのカップに泡がいっぱい乗ったコーヒーを私の前に置いて、肩をすくめた。「みんながみんな、毎朝毎晩トウモロコシを食べるようになりゃ、そりゃ儲かりますって」
「なるほど」私は感心して頷いた。「それでポップコーン屋でも始めようっていうんだね」
「あんたも騙されないようにするこった」と、店主は言った。
 誰もが金儲けのことを考えている街だった。ニューヨークでは株式というシステムで他人から金を巻き上げるのが流行っていたが、この街ではビジネスモデルという夢物語が金を生む道具だった。私には家の庭先で金鉱が見つかったという話の方がまだ真実味があるように思えてきた。
「おいしかったよ、ありがとう」コーヒーを飲み終えると、私は礼を言った。「ちょっと教えてもらいたいんだが」
 私は王老人から教わった住所のメモを店主に見せた。途端に眉をひそめて、メモと私の顔を見比べた。
「あんた、ここに行きたいのかね」
 私はそうだと頷いた。
「悪いことは言わねぇ。よした方がいい」
「魔物でも住んでいるのかい」
「似たようなもんだ。まあ、追い剥ぎくらいなもんだがね」
「最近、ぼくはついていないんだ。これ以上悪くはならないだろう」
「ついてない時は、雨の代わりに空から槍が降って来るもんだ」
 彼は嘆かわしいというように首を振りながら、地図を指し示して行き方を教えてくれた。
「まあ、追い剥ぎで済めばめっけもんだ」と、店主は言った。


 私はどうやら反対の方角に来てしまったようだった。コーヒーショップの親父に教わった通り、さっき来た道を反対方向に戻って高速道路を跨ぐ陸橋を越えると世界が変わった。文字通り違う世界に来たようだった。窓という窓には鉄格子がはまっていて、崩れかけた壁は補修されておらず、場所さえあれば卑猥な言葉の落書きが書き殴られていた。
 私は息を呑んだ。今時はマンハッタンのハーレムでさえ、これほど荒れ果ててはいない。私は資本主義の光と陰を見たような気がした。高速道路を挟んで右と左では天国と地獄だった。ファーストフードの紙袋や飲み残しのカップがあちこちに転がっていて、新聞紙が道路で風に舞っており、この辺りでは当たり前のように道路沿いにあるはずのスーパーやショッピングモールは見かけることがなかった。道端で黒人の女性が所在なげに座り込み、やせこけた赤ん坊に母乳を与えていた。汚れたTシャツにダブダブのジーンズを履いたヒスパニック系の男性がベースボールのバットをずるずると引きずりながら歩いていた。そのバットではボールなど一度も打ったことはないに違いない。車のエアコンの吹き出し口からはアンモニア臭の混じった何とも言えない臭いが入り込んできて車内に充満した。コーヒーショップの店主が奇妙な表情を浮かべたのも道理だ。
 探していた店はすぐに見つかった。車をそのまま走らせ、行き止まりを右に曲がったところに、小さな家に挟まれて飲食店と雑貨屋が隣り合って並んでいたのだ。
 店の前の道路はほとんど車が通らなかったにもかかわらず、駐車禁止区間になっていて、一台も車は停まっていなかった。私はそのブロックを一周して、やっと駐車場を見つけてレンタカーを停めた。三台隣には後部座席に荷物を山のように詰め込んだ古い車が停まっていた。古い映画の中でしか見たことのないような大きなシボレーで、よく見ると運転席で誰かが眠っていた。どうやらそこで生活しているらしかった。その向こう側には比較的新しいコルベットが停まっていたが、すべてのタイヤとワイパーが持っていかれており、埃で塗装したように真っ白になっていた。
 私は着替えの入った鞄を後ろのトランクに入れ、鍵がかかっていることを三度確認した。車の前にあったパーキングメーターにコインを入れようとしたが、大きなネギ坊主の形をしたメーターのガラスは割れ、駐車時間を示す針が曲がっていて役に立たなかった。
 私が探していた店は想像したよりもずっとまともできれいな店だった。看板の文字がはげ落ち、入り口のドアにかかった「開店」と書かれた札は汚れていて、割れたガラスのあちこちをガムテープで補修していたが、少なくとも雑貨屋であることはすぐ分かった。
 私はドアを開けて中に入っていった。中には棚が二列あって、日々の食品からプラスチック製の食器、頭痛薬から生理用品まで、ありとあらゆる日用品が整然と並べられていた。あまりにも整然すぎて、動かしてはいけないような錯覚を感じさせた。ずっと昔からそのままになっていたような店で、百万年後に発掘されても同じように整然としているに違いなかった。観光客では探し物を見つけられそうもなかったが、たまにやってくる地元の人たちはどっちの棚のどこに必要な品物があるかを見つけられる、そんな店だった。
 店の一番奥には古ぼけたカウンターがあって、その向こう側ではくすんだ色のセーターを着た老人が背の高い椅子に座って新聞を読みふけっていた。彼は私が入ってきたことに気が付くと顔を上げて、「你好」と言った。年齢的には王老人と同じくらいのようだったが、六十歳にも八十歳にも見えた。
「探し物かね」老人は座ったまま私に英語で声をかけた。しっかりとした張りがある声だった。
「楊建新さんですね。ニューヨークから来ました。王大人に紹介された草薙といいます」
 老人は口を開けて私のことをじっと見つめた。やがて、首を振りながら言った。「わざわざ来られたのか。ご苦労なことでしたな。王宋雲からはあなたのことはよく伺っている。大火の際にはずいぶん尽力いただいたようですな」
「大したことはしていません」
「あなたは私たち同胞を救ってくれた朋友じゃ」
「そこまで言っていただくと心苦しいです」
「なんの」老人は両手を叩き、奥の厨房に向かって声をかけた。「シャオウェン、おいで。客人にお茶を持ってきておくれ」
 しばらくすると、店の奥から、調理用の白衣を着て、帽子を目深にかぶった青年が茶碗を乗せた盆を片手で持って出てきた。片手だったのは、彼は右手に包帯を巻いて腕を三角巾で吊っていたからだった。怪我をしているのか、顔半分を隠してしまうほど大きな絆創膏を貼っていて、頭にも包帯を巻き、その上から調理用の帽子をかぶっていた。歳は私と同じくらいだったが、英語がよくしゃべれない様子で、言葉を探しながらやっと「你好、私の名前は楊暁文と言います。よくいらっしゃいました」と話し、テーブルに左手で抱えていた盆を置いて茶を出した。
「香港から来たばかりでしてな。訳があって私が面倒を見ています。隣の店で料理の修業をしておるのです。英語はとんと話せません」
 彼は突っ立ったまま、じっと私のことを見つめていた。
「その腕は?」と、私は訊いた。
「これは少し頭が弱いのです。この辺りは弱い者が自分より弱い者に悪さをするのです。つい先だっても、近所の不良どもに因縁をつけられて大怪我をしました」
「そうだったのですか。お大事に」
 私がそう言うと、青年はにっこりと微笑んだ。
「この方はニューヨークの中華街を助けてくれたんだよ」と、老人は言った。
 暁文は「謝謝、謝謝」と何度も丁寧にお辞儀をして奥に入っていった。
 私は礼を言って、暁文が持ってきた烏龍茶を飲んだ。驚くほど香りが良い茶だった。
 暁文が出ていくのを見届け、私は老人の老いた顔を見つめた。「単刀直入に伺います。あなたはジョニー・リーの父親とある仕事をしていましたね」
「知りたいというのは、やはりそのことでしたか。紙里包不住火」老人は独り言のように言った。「紙で火は包めない。秘密にしておくのは難しいものだ」
 私はジャケットの内ポケットに手を入れ、伏木が送り返してきた封筒から写真を取り出して老人に見せた。「彼らをご存じですね」
「もちろん」老人は頷いた。「彼らがわしらのビジネスと大きく関わっておりましたからな」
「話していただけますか」私は訊いた。
 老人は私はその話を持ち出すのを分かっていたというように、静かに話し出した。「わしと李大榮は欧州と上海、米国とを結んで貿易をしておったのです。あなたが想像される通り、真っ当な商品ではありませんでな。南アジアから大麻をアムステルダムやマルセイユに運んで、コカインやらヘロインをアメリカに運んでおりました。一度ルートが出来てしまうと、わしらが何もせんでもドルが稼げるようになりましてな、大層儲かりましたよ」
「その頃、オニールと知り合ったのですか?」
 楊老人は記憶の底を掘り起こすような表情で語った。「あの頃ソ連の経済が破綻して、冷戦が終決したのは覚えているでしょうな。NATOは今まで敵だった東ヨーロッパの国々を自分たちの陣営に引き込むことに懸命で、わしらのような者が地下経済で商売していくことを止めさせるまでは手が回らんかったし、目をつぶらざるを得んかった。わしらはユーゴスラビアやらロシアやらにまで商売の手を広げていましてな」
「経済が崩壊していても、ビジネスができたんですね」
「崩壊しているからこそ、成り立つビジネスもあるのです。地下経済というのは、そうしたものです。まあ、平たく言えば闇市場ですな。それだけに、敵も多かった。時にはイタリアの連中ともやり合ったものです。そんな時、NATOの情報部におったオニールが話を持ちかけてきたのです」
「彼はブリュッセルにいたのですね」
 老人は頷いた。「アメリカは最初のうち、ボスニアにはまるで関心は無かった。ヨーロッパの田舎で起きた内輪げんかみたいな戦争でしたからな。ご存じだと思うが、NATO軍といっても一つの軍隊ではない、実体はいろいろな国の軍隊の混成部隊です。戦争の時なら結束もしようが、ボスニアは戦争じゃありませんでした。それでもヨーロッパの各国としては、紛争地域が広がらんように押さえ込む必要はあったのです。そんな時に、あの男はNATO軍のダブついていた軍需物資の一部を横流しして、わしらのルートに乗せて売りさばくことを考えたのです。わしらはしばらくの間は友好的にビジネスを続けておりましたよ。しかし、状況が変わりましてな。ワシントンがボスニア内戦に口を挟むようになってきて、わしらとしてもユーゴで商売をするかどうかを考え直さなければならなくなってきた。あの男はもっと手広く商売をしたかったのでしょうな。わしらとは手を切って、イタリア人どもと組んだのです」
「あなた方はビジネスから手を引いたのですか?」
 老人はズズズッと音を立てて、茶を飲んだ。「英国から香港が中国に返還される時期が近づいておりましたからな。わしらは中国とビジネスを進めた方がよいと判断したのです。ヨーロッパの市場は商売敵が多すぎましたからな」
「ジョニーがブリュッセルに行ったのは、その頃なんですか?」
「オニールがわしらと手を切って、シチリアのヤクザどもに鞍替えするかどうかという時でしたよ。祥榮はジャーナリストになるのが希望でした。なんとかいう賞を取りたいと話しておりましたよ。深入りをするなとはいいましたが、あれはもっといろいろなことを知りたがっておった」老人は静かに言い、悲しそうに首を振った。「あの子には可愛そうなことをした。あの子は良かれと思って、サラエボに出かけたんですよ。わしはあれがサラエボに行くことになるなど、露とも知らなんだ」
 老人はゆっくりと腰を浮かして立ち上がり、壁に掛かっていたセピア色に褪色した写真が入った額を持ってきて、埃を払うと私に差し出した。それはどこかのスタジオで撮影したと思われる写真で、披露宴の記念写真のように、スタジオの中で中国人の一族が整然と並んでにこやかに微笑んでいた。まだ若く夢と野心を持っていたジョニーと彼の家族と思われる人々も写っていた。王宋雲や王梅鈴、今私の目の前にいる楊建新の姿も見つけることができた。皆若く、幸せそうな表情でこちらを見つめていた。昔の思い出というのは、いつだって希望に満ちているものだ。
「まだ、あの子が学生だった一番幸せな頃の写真ですよ。しかし、幸せなど長くは続かんものだ。あの子が大怪我をしてニューヨークに戻ってくる直前に、あれの父親の李大榮と彼の妻、友人の王金宋夫妻が乗っていた自動車が事故に遭ったのです」
「ジョニーがサラエボにいた時ですね。彼には連絡を取らなかったんですか」
 老人は首を振った。「もちろん取ろうとしましたよ。だが、連絡など取れませんでした。あの子が帰ってきたときには、もう埋葬も済んだ後でした」
 分かっていたではないか。あの時、サラエボから外の世界に連絡を取るのが極めて難しかったのと同じように、サラエボにいる誰かに連絡をすることなど、月の裏側にいるアポロ十三号と連絡を取ろうとするのと同じくらい不可能に近いことだった。 失意のジョニーがマンハッタンに帰ってきた時には、両親は死んでしまっていた。結婚を約束していた梅鈴も同じ時に両親を亡くしていたのだ。
「本当に事故だったのですか」
「分かりません。事故のように見せかけることなど簡単なことですからな。そうしたことを生業としているものは何人もいます」楊老人は首を振った。「しかし、事故ではないでしょう。わしらは命令を下したのはマリオ・ロッソだったと信じております。それからすぐに、マリオはいなくなりました。わしらの報復を畏れてシチリアに逃げていたのです。あの頃、わしらとイタリア人たちはひどく争っていましたからな。祥榮はそんな日常を嫌っておりました。それで李大榮が反対したにもかかわらず、自分で生活を始め、写真の学校に入学したのです」
ジョニーは父親とはうまく行っていないと言っていた。その反目しあっていた父親を失った時の気持ちはどんなだったのだろう。
「大怪我をして帰ってきた祥榮は父親の跡を継がざるを得なくなりました。誰もがそう望んだのです。ほかに跡を継げる者はおりませんでした。けれどもあれの許嫁は反対しておりました」
「王梅鈴ですね。なぜ、彼女は反対したのですか」
「梅鈴は争いに倦んでおった。両親を亡くし、これ以上、無益な争いを続けることを望まなかったのです。わしも同じように祥榮が大榮の跡を継ぐのは反対じゃった。じゃが李一族をまとめられる人間は祥榮しかおらんかったのです」
老人は茶をすすると、ため息をついた。「梅鈴も可哀想な娘です。両親を亡くしてしばらく経ち、祥榮と祝言をあげ、新しい暮らしを始めたばかりなのに、祝福されて生まれるべき子供は流産してしまい、祥榮は狂ったようになって、梅鈴を追い出してしまったのです」
「そうだったのですか・・・」
 サラエボから戻ってきてからのジョニーはどのような想いで生きてきたのだろうか。サラエボで別れてから再び彼と出会うまで六年あった。地球は太陽の周りを六回廻り、満月と新月が七十二回あった。六年あれば二つほど国を滅ぼすこともできる。文無しから世界の王にのしあがり、再びスラム街に戻ってくることもできる。三度結婚して、二度離婚し、財力と体力さえあれば五人ほど子供をこさえることもできる。六年というのはそれくらいの年月だった。私はジョニーのことなど、結局何も知らなかったのだ。
「祥榮が仕事にのめり込んでいったのはそれからです。まるで人が変わったようでした。仲間以外は誰も信用せず、美国政府も信用しませんでした。わしはあの子を助けられなかったのです」
「あなたはなぜジョニーの元を去ったのですか」私は訊いた。
「いろいろなことへの罪滅ぼしのためとでも言っておきましょうか。わしは朋友の大榮を救えなかった。梅鈴も祥榮もわしを必要とはせなんだ。いつもあの子たちを助けようとしてきましたが、あの子たちにはわしは必要なかったのです」
「なぜこの町に?」
「あちこち彷徨いましてな、結局ここに流れ着きました。この貧民窟は世界の縮図なんです。お分かりかな。隣町の住民は一食で百ドルのディナーを注文し、一本三百ドルもするようなワインを何本も頼んでいる。ここの住人にとってはそれだけあれば一月分の家族の食費です。けれども隣町の連中はこの町を助けることは決してない。なぜだか分かりますかな?」
「いいえ」私は首を振った。
「連中にしてみれば、ここの連中は怠け者にしか見えんのですよ。教育を受ける自由も、職業の自由もある。ここは自由の国だ。なぜ働かないのかと・・・。そう言われても、ここのように教育が低い人間の就ける仕事などたかが知れています。金が無ければ良い教育は受けられない、教育が無ければ良い仕事には就けない。いつまで経ってもこの繰り返しです。この国は金が無い者にとっては自由など無いに等しいのです。これはこの国の、この世界の縮図そのものだとは思いませんかな」
 老人は私の顔をじっと見つめた。「ここにいる者たちの間には憎悪と哀しみが満ちておるのです。やり場のない怒りを誰かが理解してやらねばならんのです」
 私は何も答えることができなかった。確かにその通りかも知れなかった。この国を支配するのはごくわずかの人間に過ぎなかった。そして、この世界を支配しているのもこの国を含めたごくわずかの人間なのだった。大半の人間は少数のものに支配されることを受け入れ、さらにその下にはそれら大半の人間からさえ抑圧される人々がいるのだった。この町に住む人々のように。
 老人は私の手から額を取り戻すと、大切そうにガラスの上から写真を指でなぞった。
「さて、わしが話せることはここまでじゃ。後はあなた自身が探すこと。わざわざ東海岸から来ていただいたが、これ以上お話しできることはない」老人はきっぱり言い切った。

 店を出ると、雨が降っていた。暗い雲が低く垂れ込め、冷たい雨が道を濡らしていた。私は空を仰いで、雨を顔で受けた。私も泣き出したい気分だった。
 サラエボに行くまで、ジョニーは何をすべきかを迷い、内戦を止めたいと考えていた。彼は純粋すぎたのかも知れなかった。虐げられた人たちを救おうという彼の行いが結果として悲劇を生んだのかも知れなかった。あの爆発が彼の人生を大きく変えてしまった。身体に傷を負い、心を病んで帰国した時、彼を癒すべき家族は奪われていた。彼は死んだ父親の真っ当でない商売を引き継ぎ、次第に心が闇に蝕まれていったのだろう。真実は時としてひどく残酷だった。
 ニューヨークへ帰ろう、私はそう思っていた。その時、雨が激しい降りになった。身体を芯から凍らせる冷たい雨だった。
 突然、胸の上辺りに何かがつかえたような嫌な予感がよぎった。残念ながら、こうした予感はたいてい当たるものだ。
 駐車場に戻って、私は呆然とした。レンタカーの窓ガラスが割られ、ドアが開いていた。トランクが跳ね上がっていて、中に入れておいたバッグは無くなっていた。財布やパスポートなどは手元に持っていたが、着替えの洋服や歯ブラシは持って行かれてしまった。車体の下を見ると、タイヤが四本ともホイールごと外され、無くなっていた。先ほどまで停まっていたシボレーとコルベットはどこにも見当たらなかった。きっと私のせいで陽当たりが悪くなり、引っ越したのだろう。
 私は肩を落とした。今日は、私の人生で五本の指に入るほどついていない一日だった。私は空一面を覆い、涙のような冷たい雨を降らしている黒い雲を睨んだ。
「どうかしたかい」私の後ろから声がした。
 振り返ると、二人の男が立っていた。二人ともラテン系の顔立ちで、一人は顎髭を生やしていて、もう一人は髪を赤く染めており、二人とも傘を差さずに上着のポケットに手を突っ込んでいた。
「見ての通りさ」私は腰に手を当てて、走らなくなった車に顎をしゃくった。
「なるほど。そいつは災難だ」と、顎髭の男が言った。「ところで、あんたはシニョール・クサナギだね」
 私が身構えようとする前に、二人のポケットから同じタイミングで拳銃が出てきた。私は観念して両手を上げ、行きがけに寄ったコーヒーショップの店主の言葉を思い出していた。空から槍は降ってこなかったが、もっと悪かった。
 どうやら今日は、私の人生の中で最悪の一日のようだった。





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